2011/01/02

[書評]本当に必要なのは「認知」を正すこと - ダイアローグ 対立から共生へ、議論から対話へ


この本は、真の「コミュニケーション」の本である。しかし、コミュニケーション・テクニックについては一切触れられていないに等しい。どちらかというと、自分の「認知」を「社会」の構成員の一人としてどう考えるべきかを考えさせてくれる。


このブログでこの本を取り上げるのには意味がある。「モノづくり」においてコミュニケーションは不可欠である。一人で何かを作り上げることは困難である。故に我々は必ずコミュニケーションの問題にぶつかることになる。その解決には「対話(ダイアローグ)」は重要である。そして、さまざまなコミュニティとそれを行うことが必要だと考える。



NLP(神経言語プログラミング)では、我々の心のくせを単純化して説明してくれる。故にどのように応用すべきかたがすぐに分かる。覚えて実践することで解決に結びつく。一方この本は、我々に「考える」ことを要求する。そしてそれは言葉にしにくいものである。故に役に立つ。


キーワードをいくつか上げると、「参加型思考」、「自己受容感覚」、「保留」、「一貫性のある(コヒーレント)」、「集団思考」などがある。


「具体的思考」とは「現実をありのままに反映する」ことを目的にしている。一方「参加型思考」は「目にするものの一部に自分が参加していると感じる」ことである。我々は前者で考えがちである。しかし、俗な言葉でいえば「当事者意識」がなくなる。


「自己受容感覚」とは「本人がさまざまなものの源泉であり、中心である」ということに大きく関係する。しかし、我々は「怒り」の感情を抱くと時にその負のエネルギーを認めない。これが「保留」である。「保留」が起きると「自己受容感覚」との矛盾が生じる。この矛盾が我々の行動を著しく制限する。それは、自分が感じていることすなわち「感情」と自分の「行動」に一貫性がなくなるからである。我々は「一貫性がある(コヒーレント)」であるべきなのだ。


「集団思考」は我々人類がどのように世界を認知するかでその後の行動が変わるということに関係する。すなわち、世界は我々の解釈により意味を持つ。我々がいかに世界を解釈するかで世界は変っていく。世界が変われば人間の行動も自ずと変わる。そのためには「議論」ではなく「対話」が必要だと本書は説いているのだと思う。


「対話(ダイアローグ)」では、「目的を持たずに話す」「一切の前提を排除する」ということが重要だと解かれている。誰かを屈服させるためにコミュニケーションをするのではない。より正しい認識を共有するために対話する。それぞれの人の考えはまとまることはない。ただ、世界に対する認識がより深まり、多くの人が共有できるようになる。すべてはそこからはじまるのである。


コミュニティには「文化」がある。例えば「企業」にはその企業独特の「企業文化」が存在する。それはこの本の内容に通じるものである。しかし、その中に安住することなく、さまざまなコミュニティの文化に触れる必要がある。そのために必要なのは「対話(ダイアローグ)」である。


インターネットがここまで爆発的に普及したのも、もともと我々に「対話(ダイアローグ)」が足りないからなのだろうと思う。

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